篠山城大書院 徒然日記

2021年02月

一段と冷える今日、恒例の消防訓練を行いました。

この時期は、火事が多い季節。
ニュースでは栃木県足利で起こった
山火事がすごいことになっています。

今日の消防訓練は
丹波篠山市消防本部の方を講師に迎えて
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火災受信盤の操作方法
消火器、消火栓の扱い方
そして、人形を使った蘇生方法などを学びました。
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今日の講習で得た知識を活かして
歴史文化施設の管理・運営に努めなければと
スタッフ一同、心を新たにしました。

篠山城大書院の虎の間に
旧篠山藩士中川家に伝来の「雛人形」を展示しました。
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展示した「雛人形」は古今雛様式の内裏雛で
明治末から大正時代のころに作られたもの。

古今雛様式とは、十八世紀のころ、江戸の雛問屋が
京都の古代雛を参考として製造、販売したのが始まり。
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平安時代の引目鉤鼻の顔立ち、
金や色糸などを使って刺繍が施された美しい装束が特徴。

江戸時代末期には雛人形の目の玉に水晶やガラスが
嵌め込まれるようになり、展示の「雛人形」の目も
ガラス玉が嵌め込まれ「古今雛」の特徴をよく伝えています。

いまでは見ることも少なくなった「古今雛」
大書院でご覧になってください。

★おひなさまクイズラリー
お内裏様を解放せよ! も実施中。
おひなクイズラリー
あら、大変!ねずみの姿に替えられたお内裏様…。
4つの館でキーワードを集めて元の姿に戻してね!

もう二週間寝起きすると「ひな祭り」
こちら大書院のミュージアムショップでは
王地山焼と丹波立杭焼の置物・箸置の販売を開始。


王地山焼は江戸時代後期の篠山藩主・青山忠裕が
城下町の一角王地山の地に築いた藩窯。
緑がかった青磁が特徴の逸品です。

王地山ひな人形
・6,800円(税込み)*屏風・台座は付いていません

丹波立杭焼は「日本六古窯」に数えられ
平成29年に日本遺産に認定されました。
飾り気のない素朴な風合いが魅力の陶器です。
立杭ひな人形
・箱付き2,850円(税込み)*屏風は付いていません
立杭ひな人形2
・1,430円(税込み)

丹波篠山ならではの陶・磁器製の「ひな人形」
その独特の味わい、ぜひお求めください。

ここ数日、暖かい日が続いたこともあって
篠山城二の丸の梅の木に花が咲きました。
寒い中にも、篠山城に春遠からじを感じさせてくれます。

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梅は日本独自の植物と思われがちですが
そもそもは中国原産で、日本には古代の弥生時代に伝来
花は鑑賞、果実は食用として広く栽培され
奈良時代「花見」といえば梅を愛でることだったとか。

天平二年(730)、ときの太宰帥(大宰府の長官)・大伴旅人が
邸で「梅花の宴」を開き、梅花を題材にした32首の歌が詠まれた
それらの歌は『万葉集』に収録され、元号「令和」の基にもなったそう。

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京都・北野天満宮の梅紋(大書院スタッフ撮影)

また、天神さんで知られる菅原道真は梅を愛でること深く
政争に敗れて太宰府に流されると、京の邸に残してきた梅が
道真を慕って遠く太宰府まで飛んできた‥‥
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
という「飛梅伝説」はよく知られています。
天神さんを祭る神社が「梅」を神紋とするのはここに由来するとか。

まだまだ、寒さのぶり返しがありそうですが
春の足音は着実に大きさを増しているようです。

そのようなことを感じさせてくれる大書院の「梅」の花、
桜に先だつ「花見」を楽しみにいらっしゃいませんか。

今年の節分は、明治30年以来の124年ぶりという2月2日でした。
節分とは各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日
そのうちの「立春」は新しい年の始まりともされ
立春前日の節分は「年越しの日」と意識されるようになったそう。
そうして、立春を過ぎると春の気配が立ち始める ⋯

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そうなんだ、と思って周囲を見回すと
篠山城大手の桜の木も芽吹いてきたような。

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今日の丹波篠山は数日来の寒さとは打って変わった
青空の広がる穏やかで暖かな日。

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まだ微かな気配に過ぎませんが、
一歩一歩、春が近付いている篠山城大書院。
皆さまのお運びを、お待ちしております。


篠山城大手から大書院にいたる最後の関門となる
鉄(くろがね)門の改修工事が行われます。


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篠山城、大書院への入城・入館いただく皆様には
大変、ご迷惑をおかけいたします。

工事は安全に配慮して進めますが
鉄門周辺は十分にお気をつけてお越しください。

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鉄門のこと
明治7年(1873)の「廃城令」によって、篠山城にあった多くの建物とともに鉄門も取り壊されてしまいました。本来の姿は、櫓門形式で幅約5m、奥行約4.5mあり、東側の石垣高さ約4m、西側の石垣高さ約4.5mとの間に造られていました。

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